先日、投稿した本「ジェネレーター」
どうしても、この本は「教育学」の本なので、商売で活用するために、少し言葉を変換しないといけないとはおもうのですが、めちゃくちゃおすすめです。
まだ、エピソード1までしか読めてませんが、なんといいますか、
「うわー!これ、おれのやりたかったことだーー!」
みたいな、感激を受けております。
一番下に、ポイントとなる引用をつけておりますが、ぼくの広告宣伝の仕事って、
「外野から意見するだけ」のようになってしまいがちなのですが。
もう、ぼくは、「自分のお客様(店舗さん、企業さん)とともに、そのお客様のお客様(エンドユーザー様)を喜ばせることの作戦会議に参加する」というスタンスを取りたくて仕方ないので、もはや、ジェネレーターじゃんか!!
と感じまして。
それで、これ、すごく良いのが、「誰でもジェネレーター」になれるところですね。
好奇心を生成(ジェネレート)するところが出発点だから、誰でもジェネレーター。子供でも昨日入社した新人スタッフでもだれでも、ジェネレーター。
今はもうすでに「創造社会」になってるっていう点を受け入れて、新しい考えを取り入れないとあかんなぁ、と痛感しました。
おすすめです!
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以下、本書引用
P015-P016
「ジェネレーター」とは何かをわかりやすく言うと、一緒に参加して盛り上がりをつくる人だ。
ファシリテーター的な役割としてみんなを巻き込んで盛り上げてゆくが、自分も参加者であることが最大の特徴と言ってよいだろう。
一般的にファシリテーターは「はい、みなさんやってみましょう」「みんなで話し合ってください」と、そこに参加する人たちの活動やコミュニケーションを促す役割を担う一方で、その人はその活動には取り組まない。
(中略)
「ジェネレーター」も、その取り組みに「面白い!」と感じて参加する。人間が生命体として持ち合わせている「好奇心」が生成(ジェネレート)されることが出発点なのだ。
P041-042
僕はここ100年とこれからの社会の変化を、3つのCで象徴される変化として捉えている。
Consumption(消費)を中心とした「消費社会」、
Communication(コミュニケーション)を中心とした「情報社会」、
そして、いま始まっているのがCreation(創造)を中心とした「創造社会」だ。
消費社会では、どれだけ商品やサービスを享受しているかということが、生活・人生の豊かさを表していた。
情報社会では、どれだけよい関係やコミュニケーションをしているかが生活・豊かさとなった。
そして、創造社会では、どれだけ生み出しているか、どれだけ創造的でいるかということが、生活・人生の豊かさを表すようになる。
P044-P045
「つくることによる学び(※創造社会)」の時代に、ファシリテーターであるだけでは足りない。コミュニケーションを促すだけでは足りないからだ。
もし、支援者がコミュニケーションをファシリテートするだけであれば、「つくること」に取り組んでいる人は思うだろう。
「言っているだけで、自分はやらないんだよな」
「自分事じゃないから、そんなこと言えるんだよね」と。
つくることによる学びの時代においては、学びの支援者は、ともにつくることに取り組む。もはや他人事ではなく、自分事として、本気で参加する。
その参加の中に、つくることへの貢献があり、交流があり、学び合いが生じるのだ。創造社会における「つくることによる学び」を支援するジェネレーターは、ともにつくり、学び合う。これこそが、これからの時代の学びの支援者(教師、親、関係する大人)の役割である。